ちょっと、繋ぎの記事です

ネタ的に、私の領分では無いのですが、少し調べた事があるので載せます
通常の記事とは違うので、興味のない方は読み飛ばして下さいm(_ _)m

ちなみに、お題は「城」です
(反応されそうな方が、いそうな気もしますけど・・・)

先日、母から連絡があって

「前橋の大胡城の城主だった牧野氏と、うちの方の城跡が関係しているらしいんだけど?」

なんでもバスツアーが組まれているとか・・・真田丸の影響だな( ´o`)=з
まぁ、調べてくれと言われたんで、ちょっと気になった点もあるので調べてみました

まずは、大胡城とは

群馬県前橋市河原浜町にあった平山城跡で、大胡氏・上泉氏の居城。
後に徳川氏の臣・牧野氏が入り城主になったが、入城後約25年の元和2年(1616年)、
牧野氏は越後長峰に5万石で転封。


上泉氏と言えば、上泉伊勢守は剣聖として有名ですね(と言うか、それしか知らん)
で、ここに出てくる長峰と言うのが、実家から歩いて10分とかからない城跡です
そして、思うのですが・・・ここって5万石もあったのか!?

新潟観光ナビHPより抜粋
160304_01

この写真の池は、長峰池と言うんですが、西側の端から撮った写真です
この右側(南側)の丘にそって、城跡があって、丁度、高くなっている辺りが、火の見櫓跡でしょうか
ちなみに、この池は昔からあり、お堀代わりに使われていたと思われます

ただ、実際に長峰城には殆ど居なかったと言うのが通説だったらしく、城が完成する前に
長岡藩へ引っ越したと言われていました

実際、子供の頃の遊び場で、地元の人は城跡と呼んでいましたが、城は無かったと
聞かされていて、ほぼ雑木林と化していました
が、近年の研究で、違うらしいと言う事が分かってきたとか

長峰藩とは
元和2年(1616年)7月、越後をそれまで治めていた松平忠輝が改易された後を受けて、
上野より牧野忠成が5万石で入ったことで立藩された
忠成は長峰に入るまでは、上野国大胡藩2万石を領していたが、大坂の陣で武功を挙げ
長峰に加増移封された

しかし、一説に当時の長峰には、城も無ければ城下町も無かったため、忠成はやむなく大胡に
留まって長峰城の築城と城下町の形成に努めたと言われる
元和4年(1618年)、忠成は越後長岡藩6万4000石に加増移封されたため、忠成と牧野氏家臣団の
大部分は長峰城を未完成のまま、大胡から直接に長岡へ移ったとされる
これにより、その後は高田領に編入されたために、わずか2年で長峰藩は廃藩となった

なお、長峰築城・城下町整備は相当程度進んでいたという現地調査の見解もあり
(長岡郷土史28号 長峰城を参照)、これを裏付けるように長岡に伝わる引っ越し名簿には
「元和四年長峰ヨリ長岡江御引越御人数」と表記されている
また牧野駿河守忠成の次男武成(後の与板藩祖内膳正康成)は元和3年(1617年)長峰に
生まれている事実もあることから、大胡より直接、長岡入りしたという伝承は今一度検討の
余地があるとされる

現在、長峰藩を物語るものとして土塁・空堀などの城址の一部と、城に由来する複数の地名が
残っている


この記述の最後の方、

長峰藩を物語るものとして、土塁・空堀などの城址の一部

となっていますが、前述の通り子供の頃の遊び場で、確かにそんな所はありました
で、今は復元とまではいきませんが、雑木林を伐採して、整備されています
まぁ、つまり昔の面影は無いんですけどね~
・・・今、見るとよくもまぁ、あんな所を駆け回っていたものだ( ̄▽ ̄O)

今度、実家へ帰って時間があったら、周囲の写真を撮りたいと思います

なんとなく、群馬と繋がりがあったと言う、お話しでしたm(_ _)m