旅人の惑星

日々の記録や旅行した時の話、出張で行く海外(主にアジア)で見た物・聞いた事・感じた事等を気楽に書いています。趣味のカメラを持ってちょっと出かけて、見たまま、感じたままに撮った写真も紹介しています。 お気軽にコメント下さい。 ~ Since 2009/11/30(2004/11/28~2009/11/29 ドリコム) ~

独り言・・・

謹賀新年

無事に年を越す事ができました
暮れは夕方から雨模様で、初詣は特に行かず、近くのお寺へ年始の挨拶に行っただけです
で、初日の出を撮ろうかと思ったら、今朝も雨模様で断念( ´o`)=з
・・・去年も同じ様な事を、書いておりました(笑

まぁ、冬の日本海側で晴れる方が、珍しいんですけどね~

元日の朝は、いつも通りにお雑煮

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具が多すぎて、餅が見えませんね(汗

2017年が、良い年でありますようにm(_ _)m

年の瀬

2016年も残す所、後僅かになりました、皆様、如何、お過ごしでしょうか?

私は実家で、のんびりしております(笑

で、昨日なんですが、実家の神棚の掃除をして、飾り付けを

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う~ん、なんだかバランスが悪いな・・・飾り餅が大きすぎるのか( ̄~ ̄

で、年末年始用に、お酒を買ってあったんですが、こちら

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左は、以前にも載せた事がありますけど、長野(上田市)の岡崎酒造の信州亀齢です
親戚用のお土産を、上田で買うのでついでに立ち寄って、自分用に購入

そして、右側のお酒は、栃木の第一酒造の開華 純米吟醸 遠心分離 ひやおろし  純米吟醸
これ、品名の中にありますが、遠視分離器を使って、作ったお酒です
この遠心分離器を使ったお酒は、通常の作り方の様に圧力を掛ける事がない為、
香りが良くなるらしいんです
で、気になってはいたんですが・・・なにぶん、ちょっと高くて(汗
有名な所で言うと、獺祭(山口)ですとか、北雪(新潟)で使っているんですが、
機械が高価なのと、あまり量が取れないらしく・・・4号瓶が、1万円はします
なので、悩んでいたんですが、こちらの開華、某ブログで拝見して、調べたら安い!
4号瓶で、1800円でした!!
年明け、親戚の家で飲む予定なので、楽しみです♪

皆様、良い年越しをm(_ _)m

上越市 長峰城趾

今日、群馬へ戻りますσ(・・。)
混んでいるのと、今夜は磯部温泉の花火なので、早めに帰らないと
交通規制で、寮までたどり着けません(笑

ともあれ、ネタ的に、私の領分では無いのですが、以前に載せた記事で書いた
実家の近くにある「長峰城趾」のネタを載せます
(通常の記事とは違うので、興味のない方は読み飛ばして下さいm(_ _)m)

実家へ帰ったら、こんな物が

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パンフレットを作ったんだね~

大胡城の記述もあります
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ではと、長峰池へ
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東側の端から撮った写真です
写真の左奥の丘の向こうに、城跡があります

1周、2㎞ほどの池で、丁度、ここから真反対の位置に駐車場があります
そう、つまり、一番遠くへ来た訳だ(汗

1㎞ほどですが、汗をかきかき・・・

続きを読む

これも「縁」と呼べるのか・・・

ちょっと、繋ぎの記事です

ネタ的に、私の領分では無いのですが、少し調べた事があるので載せます
通常の記事とは違うので、興味のない方は読み飛ばして下さいm(_ _)m

ちなみに、お題は「城」です
(反応されそうな方が、いそうな気もしますけど・・・)

先日、母から連絡があって

「前橋の大胡城の城主だった牧野氏と、うちの方の城跡が関係しているらしいんだけど?」

なんでもバスツアーが組まれているとか・・・真田丸の影響だな( ´o`)=з
まぁ、調べてくれと言われたんで、ちょっと気になった点もあるので調べてみました

まずは、大胡城とは

群馬県前橋市河原浜町にあった平山城跡で、大胡氏・上泉氏の居城。
後に徳川氏の臣・牧野氏が入り城主になったが、入城後約25年の元和2年(1616年)、
牧野氏は越後長峰に5万石で転封。


上泉氏と言えば、上泉伊勢守は剣聖として有名ですね(と言うか、それしか知らん)
で、ここに出てくる長峰と言うのが、実家から歩いて10分とかからない城跡です
そして、思うのですが・・・ここって5万石もあったのか!?

新潟観光ナビHPより抜粋
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この写真の池は、長峰池と言うんですが、西側の端から撮った写真です
この右側(南側)の丘にそって、城跡があって、丁度、高くなっている辺りが、火の見櫓跡でしょうか
ちなみに、この池は昔からあり、お堀代わりに使われていたと思われます

ただ、実際に長峰城には殆ど居なかったと言うのが通説だったらしく、城が完成する前に
長岡藩へ引っ越したと言われていました

実際、子供の頃の遊び場で、地元の人は城跡と呼んでいましたが、城は無かったと
聞かされていて、ほぼ雑木林と化していました
が、近年の研究で、違うらしいと言う事が分かってきたとか

長峰藩とは
元和2年(1616年)7月、越後をそれまで治めていた松平忠輝が改易された後を受けて、
上野より牧野忠成が5万石で入ったことで立藩された
忠成は長峰に入るまでは、上野国大胡藩2万石を領していたが、大坂の陣で武功を挙げ
長峰に加増移封された

しかし、一説に当時の長峰には、城も無ければ城下町も無かったため、忠成はやむなく大胡に
留まって長峰城の築城と城下町の形成に努めたと言われる
元和4年(1618年)、忠成は越後長岡藩6万4000石に加増移封されたため、忠成と牧野氏家臣団の
大部分は長峰城を未完成のまま、大胡から直接に長岡へ移ったとされる
これにより、その後は高田領に編入されたために、わずか2年で長峰藩は廃藩となった

なお、長峰築城・城下町整備は相当程度進んでいたという現地調査の見解もあり
(長岡郷土史28号 長峰城を参照)、これを裏付けるように長岡に伝わる引っ越し名簿には
「元和四年長峰ヨリ長岡江御引越御人数」と表記されている
また牧野駿河守忠成の次男武成(後の与板藩祖内膳正康成)は元和3年(1617年)長峰に
生まれている事実もあることから、大胡より直接、長岡入りしたという伝承は今一度検討の
余地があるとされる

現在、長峰藩を物語るものとして土塁・空堀などの城址の一部と、城に由来する複数の地名が
残っている


この記述の最後の方、

長峰藩を物語るものとして、土塁・空堀などの城址の一部

となっていますが、前述の通り子供の頃の遊び場で、確かにそんな所はありました
で、今は復元とまではいきませんが、雑木林を伐採して、整備されています
まぁ、つまり昔の面影は無いんですけどね~
・・・今、見るとよくもまぁ、あんな所を駆け回っていたものだ( ̄▽ ̄O)

今度、実家へ帰って時間があったら、周囲の写真を撮りたいと思います

なんとなく、群馬と繋がりがあったと言う、お話しでしたm(_ _)m

謹賀新年

無事に年を越す事ができました
ずっと雨模様で、初詣は特に行かず、近くのお寺へ年始の挨拶へ行っただけです
で、初日の出を撮ろうかと思ったら、雲が多くて断念( ´o`)=з

まぁ、冬の日本海側で晴れる方が、珍しいんですけどね~

元日の朝は、いつも通りにお雑煮

160101

2016年が、良い年でありますようにm(_ _)m
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